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2023年11月27日 (月)

「音楽が生まれる現場」に立ち会ってきました!!!

久しぶりのコンサートネタなんですが(「日記」ではないので私は行ったコンサートすべてについて記事にする気はない…)、今回、取り上げる気になったのは、「Auro-3D友の会」のCmiyajiさんのお招きであったこともさることながら、「今までの<コンサート>で体験したことのない」感激を味わったからです。

 

このコンサートは、「亀仙人スーパーバンド」 の定期演奏会(?)だったのですが、なんと、Cmiyaji邸のオーディオルームで行われているんです!(左後ろに、彼のご自慢のK2が見えるでしょ!)

 

PImg_2413

 

この部屋にお邪魔させていただいたのは2回目で、前回は、チャンデバ化されたK2Trinnovの音の涼やかさに感動したのですが、今回はそれとは打って変わって、<熱い>(笑)。

 

ホームパーティーのノリですから、お客さんは5人でバンドメンバーの方が多い(笑=でも実は、YoutubeLive中継をされていて、後日編集したものをUploadしておられるので、Potentialなお客さんの数はかなり多いと思います)。でも、皆さんプロ(「元」とか「セミ」、とかも混在している・・・?)なので、腕は確かで私のような素人では「今のミスったでしょ?」とわかるような変な音やリズムが出ることは一切なく、Jazzやボサノバの名曲からオリジナル曲まで、2時間ほど楽しませていただきました。

 

で、私がどこにこのブログでの「記事」にわざわざするほど感動したかというと、一曲一曲、演奏が始まる前に以下のようなやり取りがあるのです。

 

「これ、ちょっと書いてきたんだけど」(楽譜を配る)

 

「えっ、これベースの譜面がないよ」

 

fでいいんだよ」 「OK

 

「ここは、AABCAAなんだけど、今日はCは飛ばしていいや」

 

「テンポはどんな感じ?」 「ズンタ、ズンタ、ズンッタッタ、ズン」と言いながらソロ演奏が始まる・・・で、そのあとに他の楽器の皆さんが付いてくるんですよ!!!

 

マ、マジ?と、バンド経験がない私は心底思いました。リハーサル、ゼロ。ぶっつけ本番。それでとてもかっこよく始まって、またかっこよく終わるんですよ、これが。

 

途中の各楽器のソロパートも、リーダーみたいな方が手を振ったり目配せをしたりして次が「ドラムソロ」なのか「ベースソロ」なのかが決まる・・・演奏の終わりに作曲者だかバンドリーダーだかが指を3本頭の上に出す。すると、3フレーズというか3小節というのか音楽的教養のない私にはわかりませんが、かっこよくCoda(これはクラシック用語?)を作って、バンドメンバーみんなで顔を合わせながら、「ドン」で曲が終わる。

 

いやあ、無茶苦茶かっこよくて、かつ信じられないものを見ているような気がして、本当にぞくぞくしましたね。私、息子が生まれた時には不本意にも(笑)立ち会わされたのですが、「音楽」が生まれる現場に立ち会ったのは初めてで。

 

私がこれまで行った「コンサート」というのは、だいたいClassic5,Jazz3,Pops/Rock2ぐらいの割合だと思うんですが、素人の私は当然、<事前に>念入りな練習をしてから<本番>に臨んでいると思い込んでいました。ソロ楽器ならいざ知らず、複数の奏者がいる音楽というものは、事前の練習・音合わせ・相談なしでは「商品」の水準にはならないに決まっていると。Beatlesの『Get Back』という映画も見ましたが、ちゃんとスタジオで何度も練習してから、Appleビルの屋上に立ってますよね?

 

特に主力の(笑)Classicなんか、オーケストラは言うまでもなく、弦楽四重奏だって、事前に相当練習して意思統一するんじゃないんでしょうか?しかもClassicの場合は「楽譜通り」に演奏するのが当たり前なので、各楽器の個々人が自分一人でも事前に十分練習をしてきているはず。

 

ところが、Jazzって、その場で譜面渡されてもやれちゃうし、しかもそれがちゃんと「商品」レベルになるんですね、熟練のプロがやれば。

 

本当に驚いて、心底感心して、口をポカーンと空けて聴き入っていました(笑)。Classicの世界では、カラヤンのように「録音芸術」に力を入れる音楽家も少なくない、と聞きますが、Jazzはやはり「生が一番」。録音されたJazzは、「何度聴いても同じ演奏をする」(笑)。生のJazzは「やるたびに異なる演奏になる。それはその時の気分とノリ次第!」。

 

Jazz派に転向しようかな(笑)。

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コメント

Auro3Dさん

楽しいレポートをありがとうございました!!

確かにジャズライブはその場その場でのアドリブに格好いいなあ!!と感動する瞬間があると思うのですが、久しくその感動を味わっていない様な・・・(泣)

一方でクラシックはもちろん、ジャズでも何度も聴き込んでいる演奏を安心しながら楽しんでいる自分もあったりして(ライブでも演奏側はもちろんん聴く側も反復予習(笑))、改めて歳をとったなあと、、、(汗)
私は映画なども気に入ったらしつこく何十回でも観る質なのですが(場合によっては気に入ったシーンのみをリピート鑑賞(笑))、久々に新鮮な感動も味わってみたいですね~!!

>Jazz派に転向しようかな(笑)。
是非是非(笑)!!

モンテモンテさん

>一方でクラシックはもちろん、ジャズでも何度も聴き込んでいる演奏を安心しながら楽しんでいる自分もあったりして(ライブでも演奏側はもちろんん聴く側も反復予習(笑))、改めて歳をとったなあと、、、(汗)
>私は映画なども気に入ったらしつこく何十回でも観る質なのですが(場合によっては気に入ったシーンのみをリピート鑑賞(笑))、久々に新鮮な感動も味わってみたいですね~!!
>

これは、私も少し友人と議論してみたことがある点なんですが、実はよく考えてみると、Classicだって、昔は、「一期一会」、つまり、<予習>も<復習>も不可能な音楽だったわけです。当時、ベートーベンの第九を初めて聴いたのは、誰でもLiveででしょうし、それを後で「復習」しようとしても頭の中にあんな長大なメロディが全部入っているはずもない。しかも、恐らく、多くの平民は、それを「もう一度」聴くこともできなかったのでは(今ほど演奏会も少ないでしょうし、そもそもチケットも安くなかったと思われる)、と思うのです。

その意味では、かつては、Classicも、その場限りのInspirationが演奏者と聴衆の間を行きかう、かなり緊張感のあるものだったのではないでしょうか?(今は、人気の演目のClassicコンサートに臨むときは、事前にじっくり聴き込んで、自分のお気に入りのパートがわかっているので、Jazzのオリジナル曲のような、「次は何が飛び出してくるんだろう」というドキドキ感は全くないですよね)

>>Jazz派に転向しようかな(笑)。
>是非是非(笑)!!

うーん(笑)。個人的には、オーディオシステムとの親和性はClassicの方があると思うんです。つまり、先に書いたことと重なるのですが、Classicは基本的には楽譜通り演奏されるので、同じホールで同じ楽団の演奏を、Liveと自分のシステムによる録音再生とで「比較する楽しみ」があるからです。一方、Jazzは、Liveアルバムは別ですが、今日自分が聴いてきた演奏を、自分のシステムでの再生と聴き比べようとすると、恐らく「音楽」ではなく、「音」の比較になってしまうと思うんですよね。だって、Jazzでは同じ「音楽=メロディ」は二度と演奏されないからです(楽譜がないし、あっても常に無視する・・・笑)。「あそこのピアノソロ、かっこよかったよなあ。あれ、自分のシステムでも聴いてみたいなあ」と思っても、そのソロのTakeは、自分の頭の中以外のどこにも保存されてない!(笑)

だからどうしても、Jazz聴きの方は、「ラッパ、シンバルのハイハット、スネアドラムのブラッシング」などという「音」の再現性に拘ってオーディオシステムに向かう方が多い気がします。そこが「メロディ派」(笑)を自任する私が、オーディオシステムに求めるものとちょっと違うんですよね(モンテモンテさんは拙宅にお見えになっているので、言わんとしていることはなんとなくわかっていただけるのでは?)。

つまり、あえて言えば、LiveはJazz派、オーディオはClassic派かな?(笑)

Jazzでも、それぞれの音だけでなく、例えばデキシーのペット、クラ、トロンボーンの3人がメインテーマを演奏する時、3人は、一人が高い方いったら、俺は低い方という事を瞬時に判断して3声部のハーモニーをつくっていくそうです。Jazzも、聴くと全体のアンサンブルがまとまってそれぞれがバラバラにならないような音作りもしている訳なのだと思います。

後、こうやってライブを聴くと、どの音もうるさくなく、それでいて活き活きしていて、何ていうかピチピチしているというような音なんですね。オーディオ的にも、この活き活き感のある音にしたいな、と常々思っています。

cmiyajiさん

おお、席主自ら(笑)。この度はとても貴重な体験をさせていただきありがとうございました。

>Jazzでも、それぞれの音だけでなく、例えばデキシーのペット、クラ、トロンボーンの3人がメインテーマを演奏する時、3人は、一人が高い方いったら、俺は低い方という事を瞬時に判断して3声部のハーモニーをつくっていくそうです。Jazzも、聴くと全体のアンサンブルがまとまってそれぞれがバラバラにならないような音作りもしている訳なのだと思います。
>

そうなんですか!それほど、「何も事前の決め事がない!」んですね!!!私の知り合いのお嬢さんが、バイオリンのプロを目指してカナダに留学をするほどのレベルの方だったのですが、当初、Classicだったフィールドを、帰国後にはJazzに変えたんですよ。Classicはソロになれる人は、世界でも年に数人レベルという狭き門で、ほとんどのバイオリン弾きは、オケの団員になるそうなのですが、そこでの「仕事」は、「自分の解釈や工夫」などはほとんど許されない世界で、それが嫌だから、Jazzに転向したと。

私はそのお嬢さんの「コンサート」を代官山の教会で聴いたことがあるのですが、とても「楽しそうに」演じていたのが、印象に残っています。先日の「亀仙人スーパーバンド」の皆さんと同様に。方やClassicでは、ソリスト以外は、皆さん、指揮者や楽譜をにらみながら、「間違ったら大変!」という感じの<緊張感>を感じるんですよね・・・それも私がクラシックをV付きでは聴くのが好きではない理由の一つではあるんです(笑)。

>後、こうやってライブを聴くと、どの音もうるさくなく、それでいて活き活きしていて、何ていうかピチピチしているというような音なんですね。オーディオ的にも、この活き活き感のある音にしたいな、と常々思っています。

もちろん、あの「音」を正確に再現することはどんなシステムをもってしても全く不可能なのは明らかですが(汗)、Jazz聴きの方が「ホーン+バスレフ」に拘る方が多いのが、改めてよくわかる体験でした(笑)。

今度機会があれば、ワインを持って、お邪魔させていただきます!!!皆様によろしくお伝えください。

cmiyajiさん

連投、失礼します(笑)。

ふと、この記事の内容も先の私のコメントも、「全くAuro-3Dに触れていない」ことに気づいたので(汗)、このブログの趣旨からして「付け焼刃」的に(笑)。

今回のLiveを、Jazz論ではなく、Audio的に考えると、普段、自分が<人工的な手段で>再生された音楽を聴いている、その場所で、<本物の楽器・声で>演奏された音楽とを聴き比べたことがある人が、この世の中にどのくらいいるのでしょうか?(会員の中ではK&KさんがCloseかな?)

私も伊豆の部屋で、死ぬ前に「一度くらい、Liveを聴いてみたい」と思い続けていて、ミュージシャンの知り合いは居なくはないのですが、彼・彼女らは都市生活者であり、一方伊豆は都心からやや遠いため、まだ実現できていません。

もしこれが実現できたら、「究極のAudio Check」になると思いませんか?普段、JazzでもClassicでも、Liveを聴きに行くかたは多いと思いますが、そこでの演奏の音を自分の部屋の音と「まともに」比べようと思う人はいないでしょう。<音>を聴いている<空間>が全く違いますから。しかし、Cmiyaji邸では、例えば今回のSaxは、「生音」とK2による「再生音」とで、アコースティックの条件は全く同一。つまり、この場合、聴感上の音の差は、<演奏現場>と<再生現場>の部屋の違いを排除することができるので、完全にReal vs Systemの比較試聴となりますよね!

まあ、これを体験してしまったら、人によっては、彼我の差にショックを受けて、「もうオーディオなんかじゃ音楽を聴かない」ようになってしまうかもしれません。私の友人で奥さんがプロのピアニストの方がいるのですが、その友人はかなりのグレードのオーディオを揃えているのに、ピアニストの奥さんは「一度も聴こうとしない」そうです。「本番のイメトレ」として、楽譜を見ながらラジカセでCDをかける程度だと。

そう考えると、「本物を知ってしまうこと」が、これまでの自分の努力と投資(時間とお金)が「無駄だった」ことに気づかせてしまうかも、と、少し怖くもある(笑)。

幸い(汗)、「自分のオーディオルームで演奏される<本物の音>を知らない」我々は、「これは<本物>にかなり近いに違いない」という<幻想>を保つことができるために(笑)、日々オーディオを楽しめるのかもしれません。

このような<幻想>を抱き続けている立場からすると、普段から「本物」と「偽物(つまり録音再生)」を聴き比べておられる、Cmiyajiさんは、「2chとAuro-3Dでは、どちらがより、<本物っぽい偽物>(笑)と思うか」の問いには、自分なりの答えが出ているのでしょう。

今度お会いした時に、恐る恐るそれを聞いてみたいような、または聞きたくないような(汗)。

ライブの話題はAuro3Dとは関係ないとは思っていなくて、逆にライブの良さとか、その場にいるような感じを、Auro3DやSurroundで出せたら良いなとは常々思いながら配信しています。
本物と比較してというのはあまり意味ないとしても、聴いたらまるでその場にいるような感じとか、その場で鳴っているような感じ(イルージョン)を与えられれば、録音芸術のひとつの成果なんじゃないかと思います。絵であっても、その人の体温を感じるような絵というのと同じように。
実際、マイクという特殊なもので音を切り取ってそれをマスタリングではりつけて再生している訳で、本物らしくではなくて、そこに本物みたいに鳴っているような幻想が得られる事しかないんじゃないかな。
しかし、生を聴くことで本物の音が鳴るってのはこんなものかという事をつかむのには役立つと思います。

cmiyajiさん

再度のコメントありがとうございます!

>本物と比較してというのはあまり意味ないとしても、聴いたらまるでその場にいるような感じとか、その場で鳴っているような感じ(イルージョン)を与えられれば、録音芸術のひとつの成果なんじゃないかと思います。絵であっても、その人の体温を感じるような絵というのと同じように。

「Illusion」とはいい表現ですね!実は今、伊豆にいて、なぜか先月末で終了したはずの、WOWOWの13.1chソフトがまだ聴ける状態なので、「これが最後かも!」と思って片っ端から聴いているのですが、Nakuraのマリンバなんか、「本物」を芸術劇場で聴き、「現場」の関口教会にもオルガンコンサートに足を運んでいるのですが、どうみても(聴いても)、「本物」より拙宅で入交さんが再現してくれる「Illusion」の方が<魅力的>ですからね・・・(笑) 絵画なんてその最たるもので、イギリスに留学していた時にテート美術館でターナーを見てからテムズ川沿いを歩いたことがあるんですが、「本物」にむちゃくちゃ<がっかりした>記憶が強烈に残っていますもん(笑)。だから私は、「本物らしい幻想」ではなく、「本物では得られないIllusion」をAuro-3Dには期待しているタイプです!

>
>ライブの話題はAuro3Dとは関係ないとは思っていなくて、逆にライブの良さとか、その場にいるような感じを、Auro3DやSurroundで出せたら良いなとは常々思いながら配信しています。

これは、Auro-CXとかいうのが、(プロ用に?)Availableになったら、是非、あのご自宅でのLiveをAuro-CXエンコードで配信お願いします!!!Licenseや機材用のお金が足りなさそうなら(汗)、Cloud Foundingしてでもやりましょう!協力しますので!!!

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